家康、江戸を建てる – 門井慶喜

天正18年(1590)夏、豊臣秀吉は、相州石垣山の山頂にのぼり、豊乳をはじめた。
徳川家康は横で放尿に付き合いながら、秀吉の言葉を聞いていた「貴殿には北条家の旧領である関東八カ国をそっくり差し上げよう」という言葉を。。
のちの「関東の連れ小便」である。

家康、江戸を建てる

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あらすじ

この小説は、そのような経緯で秀吉より半ば押し付けられた関東、そして、人も殆ど住んでいない江戸を、どのように国造りをしていったかを描くものです。

江戸城の東と南は海、西側は萱原、北は大地。当時、江戸は多くの川が流れ込んでおり、泥地でした。これでは人が住めない、稲が育たない。特に大きな利根川をなんとかしないといけませんでした。この利根川をぐいぐいっと曲げていく話が、第一話「流れを変える」

また、領民が生きていくためには、飲水が必要です。この飲料水をどこからか引っ張ってこないといけない。第一話とは全く異なる水の戦いが、第3話「飲み水を引く」

この当時、やっと戦乱がやみ、平和な世の中が戻ってきていました。商人たちが経済活動を活発に行えるようになってきています。また、武士の世界もお金が意味を持つようになってきています。これからの世の中は、信頼できる貨幣を流通させたものが、天下を支配する。そんな時代です。家康のための金貨を作る話が第2話「金を述べる」

第4話「石垣を積む」、第5話「天守を起こす」。それぞれ、資材をどのように調達し、使ったか。そして、その使い方がどのように後世に影響したかの話。

感想

私は、第1話と第3話の「水」の話が印象に残り、一気読みしました。当時、利根川が東京湾(江戸湊)に流れ込んでいたとは知りませんでした。確かにこんな大河川が江戸の真ん中を流れていたら、ちょっと溢れたら、田んぼなんてイチコロだし、危なくてしょうがない。家康はすでにあった江戸城に入城することになるのですが、ほとんど廃城だったというのも判る話です。まともに住める土地では無かったのでしょう。

江戸幕府というのはインフラを考えていたからこそ、250年も続いたのだなと。

評価

★★★★☆

一度読んで下さい。面白い!

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